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文学作品に登場する坂を見に行こう。

なぜ文京区は坂が多い?

文京区には名前がついている坂だけでも100以上あります。区内には5つの台地があり、さらに侵食によっていくつもの谷が刻まれているため、坂も多くなっています。

鐙坂(あぶみざか)<本郷四丁目20と31の間>

片側に石垣の連なる、細い坂道。坂名の由来は、鐙職人の子孫が住んでいた説や、形が鐙に似ていたという説があります。

樋口一葉は数十冊の日記を残しており、節目ごとに新たな題名で書き起こしました。その中の「蓬生日記」にこの坂が登場しています。

鼠坂(ねずみざか)<音羽一丁目10と13の間>

細長い様子から鼠が通るような坂と言われたとの説があります。急勾配でほぼ真っ直ぐな、階段がついた坂道です。

森鷗外の小説『鼠坂』の舞台。「小日向から音羽へ降りる坂で、鼠でなくては上り下りできないという意味の名前」と作中で描写されています。

団子坂(だんござか)<千駄木二丁目と三丁目の間>

団子屋があった、悪路で転ぶと団子のようになった、など名前の由来には諸説あります。

新坂(しんざか)<根津一丁目21と28の間>

根津神社の前を通る坂道です。本郷通りから根津谷への便を考えて作られた新しい坂のため、その名がつきました。

森鴎外の名作『青年』で、主人公が新坂を歩いています。「S字を書いたように曲がっている」と描写されたことで、S坂とも呼ばれるようになりました。

菊坂(きくざか)<本郷四丁目と五丁目の間>

本郷通りから西片1丁目までの長くゆるやかな坂。この界隈には、樋口一葉や石川啄木、宮沢賢治など多くの文人が暮らしました。

『大つごもり』は樋口一葉の貧困体験から生まれ、菊坂には一葉が通った質屋の建物が残ります。この坂は主人公の伯父の描写で登場します。

富坂(とみざか)<春日一丁目と小石川二丁目の間>

江戸時代、この地に鳶が多く飛んでいたことから鳶坂→富坂に転じたとされています。近くには島木赤彦が下宿し、機関誌「アララギ」を編集しました。

夏目漱石の「こころ」では、主人公が散歩する際、富坂を思わせる描写が登場。この作品が発表された頃の富坂の様子がわかります。

浄心寺坂(じょうしんじざか)<白山一丁目32と33の間>

約170mの住宅街の中の坂道で、坂上に浄心寺があったため、この名がつきました。また坂下には、八百屋お七の墓(円乗寺)があります。

八百屋お七は井原西鶴の『好色五人女』に登場。大火で家が焼け、菩提寺だったこの坂沿いの円乗寺に避難。円乗寺の小姓と恋仲になりました。

切支丹坂(きりしたんざか)<小日向一丁目16と24の間>

切支丹屋敷近くにあるため、その名がついたとされています。幽霊坂とも呼ばれている、ガードのトンネルから続く坂道です。

私小説の傑作・田山花袋の「蒲団」では、冒頭から切支丹坂が出てきます。主人公がこの坂で歩きながら回想している情景が描かれています。

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